温故知産
関東大震災から100年 母乳が防災ってどういうこと?
【母乳育児は防災デザイン。オキシトシンと母乳の不思議】イベントレポート
ダイジェスト版
全編通しの映像は、本記事最後に掲載しています。
2023年11月12日(日)渋谷区表参道にある東京ウィメンズプラザで年に一度の「東京ウィメンズプラザフォーラム」が開催されました。ホールではNPO 法人子連れスタイル推進協会がトークショーイベントを主催。テーマは【母乳育児は防災デザイン。オキシトシンと母乳の不思議】。関東大震災から100年の節目を迎えて企画されたイベントです。
そもそも防災と母乳、どんな関係があるでしょうか。母乳育児は被災地で水やミルクを用意することなく、赤ちゃんに栄養を与えられる利点から「災害対策」になると考えられています。今回は、「防災」という観点からの母乳育児の長所に焦点を当てています。防災、育児に関する専門家と子育て当事者が集まる催しにおよそ60名が集まりました。
司会を行ったのは光畑由佳さんと早川大さん。光畑さんは、本イベントの主催者の一人。授乳服メーカー「株式会社モーハウス」の代表であり、NPO法人子連れスタイル推進協会代表でもあります。
早川さんは、普段、遊びと防災を融合させた訓練「あそぼうさい」を企画し、学校や自治体への普及活動を行っています。
まず、早川さんから3名のコメンテーターが紹介されました。
1人目は「まちづくり研究所所長」の渡辺実さん。実際の災害被災地に足を運び、自ら収集した情報を発信。防災・危機管理ジャーナリストとして、多くのメディアへでもご活躍です。
渡辺実さん:みなさん、こんにちは。私は、防災に関わり45年ほどになります。最近は地震だけでなく、水害も頻発しています。各地の避難所を実際に体験したとき、赤ちゃんを連れた女性たちがつらい想いをしているのを目の当たりにしてきました。今日は、「赤ちゃん連れの女性がどんな支援を受けられるのか」を勉強しにまいりました。
――次に紹介されたのは、横浜市で「Umiのいえ」を主宰する齋藤麻紀子さん。「Umiのいえ」は「いのち・こころ・からだ・くらしの学びあいの場」として出産・子育てを支援する団体です。
齋藤麻紀子さん:こんにちは。横浜で出産と子育ての支援活動をしています。私は、何かが起こったとき、親が「何がなんでも、がむしゃらにこの子を守る」という気持ちが一番の防災だと思っています。でも、最近では育児を便利にするアイテムが増えたことで、身体の感覚が鈍っていると感じます。もし生活が奪われたときに、今あるものの中で、どうやって我が子を助けるか。そのどうやって暮らしていくかの「どうにかする力」が大事だと思っています。それを伝えるのが私の役割です。
ほかには助産師さんを応援する活動をしています。助産師さんは母乳育児の支援者でもあります。また、ライフラインが止まったときにでも出産の介助をできるのも助産師さん。助産師さんが増えるとお母さんも助かる。だから助産師さんがもっと増えるように応援をしてます。今日はよろしくお願いします。
――続いて紹介された安西正育さんは、まだインターネットで情報を集めることが一般的ではなかった1998年に妊娠・出産・育児情報サイト「ベビカム」を立ち上げました。「ベビカム」では、これまでに『防災とお母さん』をテーマにアンケート調査を実施し、特集を設けています。
安西正育さん:こんにちは。「ベビカム」代表の安西です。ベビカム創設から今年で25年目になります。この25年の間、お母さん方の悩みはどんどん変化しています。25年前、インターネットはほとんど普及していなくて、スマホもなかった。けれど、今はスマホがないと子育てができないと感じる人が多い。「ベビカム」で実施した防災に関するアンケートでは、スマホなしでは被災地での生活に不安を感じるという答えが多くありました。スマホはコミュニケーションツールとして、ライフラインのひとつになっているわけです。
私たちはお母さんたちの不安や悩みがどう変化しているかを調査し、寄り添い、どんな支援ができるかを考えています。今日はよろしくお願いします。
――コメンテーターの紹介のあと、トークが始まりました。最初の登壇者は、佐竹直子さんです。佐竹さんは、「子育て防災支援士 長岡市協働型防災チーム中越代表」を務めています。イベントのため新潟から上京しました。トークテーマは、「災害対策には遠くの親戚より、近くの友。そして吸えば出てくる母乳の不思議」。“吸えば出てくる母乳の不思議”とはいったい?
佐竹直子さん:みなさん、こんにちは。私が防災活動を始めたのは30年前になります。発展途上国で保育士として、火山災害の支援をしました。その後、出産し、子育てをしながら、子育てのネットワーク作りを始めました。その5年後に新潟県中越地震が発生しました。
出産の退院直後に被災して、避難所に来た方がいました。想像してみてください。生まれたての赤ちゃんとの避難生活です。その方は母乳が出なくなりました。そのとき、ネットワークを通じてもらったアドバイスは「とにかく諦めないで吸わせ続けてください」でした。アドバイスに従ったら、母乳が出てくるようになったんです。ゆるいネットワークが災害現場の命を助けてくれました。
ネットワークからの支援物資の中で、モーハウスの授乳服がすごく助かりました。中越地震があったのは10月で、かなり寒かったです。子育て中のママたちは子どもがさわぐからと、みんな、避難所の入り口近くにいました。入り口は一番寒いところなんです。そんな寒い場所で、おっぱいやお腹を出す必要のない授乳服にすごく助けられました。
みなさんには、災害が起きていない段階から防災への意識を高めてほしいと思っています。簡易トイレも用意しているだけではなく、実際に使ってみる。液体ミルクも備蓄してありますが、飲ませたことがありますか?温めなくても赤ちゃんは飲んでくれるでしょうか。災害時の状況を想像しながら備えてください。みなさんの想像力が自分の命、子どもの命を守ることにつながります。
中越地震のとき、子どもは上が5歳、真ん中が3歳、下が9カ月でした。ハイハイする子を足元で挟んで、倒れそうな食器棚を支えながらの被災生活でした。子育て中の方たちにぜひお願いしたいのは、子どもの命を守ろうとするあまり、自分が犠牲にならないようにしてほしいということ。私は円形脱毛症になり、身体を壊してから気がつきました。母親が元気だから、生きているから、子どもの命を守れる。それを決して忘れないでください。
――華奢でやわらかい雰囲気の佐竹さんが伝える自身の経験からわき出た言葉に、参加者は真剣に聞き入っていました。
次に登壇したのは、つくば市危機管理課の鬼塚宏一さん。冒頭から、行政職員として住民に対するお詫びの言葉を述べた鬼塚さん。その理由とは…。
イベントリポート②「雨の日に傘を持つように災害にもあたり前の備えを」に続きます。